私の大好きなミレイネのホームページで、贈り物についての連載を持たせていただくという、大変光栄な機会をいただきました。季節の贈り物のマナーや文化、習わしなどについて、楽しみながら役立つ連載にしていきたいと思っています。


「贈答」を辞書で引くと「詩歌・手紙・贈物などのやりとりをすること」とあります。


特徴としては、

「贈り物を媒介として送り主の人格や感情が伝達され」
「友情や信頼の持続のためにお返しには一定期間をおき」
「金額換算という思考を排除したもの」

があげられるようです。


感謝の気持ちや信愛の情を
歌や手紙にしたためたり、
品物に込めたりして、
目には見えないけれど、確かにある気持ちを
なんとか形に託そうとする行為は、
神との対話や祈りとしての供物でもありました。


その祭祀を共にする人々の間に広がったものが、
宗教的儀式にまつわる贈答です。


マルセル・モースが1924年に発表した
『贈与論』では
興味深い考察がされています。

贈与は、
経済的価値、
政治的影響力、
宗教的儀式、
倫理的義務の履行
として、社会生活の全側面に関わっている

と説いています。

確かに、店頭には贈答用の品が並び、
組織の内外で政治的意図を持ったやりとりがあり、
宗教的儀式にまつわるプレゼントや
贈り物の返礼としての贈り物と、
私たちは、年中
贈り物について考えているものかもしれません。


何が人をそう駆り立てるのでしょうか。


ポリネシアのマオリ族は

「贈与された物に精霊(ハウ)が宿っていて受け取った者にお返しを求める」

と説明するそうです。
それはある意味で真実かもしれません。

法的義務のない贈り物には、
感謝やその他の意味が込められていて、
その気持ちや意図を確かに受け取ったという証しに、
お礼の手紙や品をまた贈答する。

その一連は目に見えないので、
まるで精霊が宿っているかのようだけれど、
私たちはそうして気持ちのやりとりをする中で
お互いの信頼や愛情を確かめあっているのだと思います。



贈答が、互いの信頼や愛情の証しならば、
それは美しくありたいものです。


どのように美しくあるか、
そこに、
贈り主の個性が表れるものかもしれません。


美しくあろうとすることは、時に手間がかかります。


けれど、
その心遣い
相手を思う気持ちがあってこそのものですから、
相手に伝わるものだと思います。


相手の方の暮らしに思いをはせて、
どんな形に表現したらよいのかに心を尽くします。


受取る方は、
どのようにしてその形に至ったのかを察して、


そのように
互いに気持ちを通わすことが
贈り物の本当の目的なのでしょう。


文化や歴史の中で
贈り物の作法も伝えられてきました。
国や地域によっても異なります。
作法の意味を心に留めて、
贈り主の思いを
美しく表現する贈り物。

そんな贈り物ができたら、
周りの方々との繋がりが
丁寧に美しく紡がれていくことと思います。
 
2017 処暑
水上繭子

次回は敬老の日の贈り物についてです。
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